『灯台もと暮らし 』西伊豆ガラス工房FARO徒然日記

タグ:稲作

ここ数年、FAROでは私が主にガラスを吹いて、主人は朝夕のドライバーのバイトと田んぼを頑張っています。

今年も、稲が実りました。
ところが、ものすごい数のスズメが!(;゚Д゚)!


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実がスカスカ、、、(´-ω-`)

うちは、網をかけないので、食べたい放題。
スズメの大軍が飛ぶと、聞いたことないようなものすごい羽音で、ちょっと怖いくらい。(@_@;)


近所の人たちがみんな心配して、主人に

「今すぐ刈った方がいい。」

「どうして網をかけないのだ?」

と、わざわざ言いに来たそうです。

特に理由はないんですが、網をかけるのが、田んぼの作業で一番大変だって皆さんボヤかれるので、大変そうだなー( ̄▽ ̄;)と。

こんなにも大挙して押し寄せたのは、なにせ初めてのこと、、、

まあ、過ぎたことは仕方ない。
絶滅危惧種の種の保存に一役を担ったと思いねえ。


さて、この土曜日、私と長男が弓道関係で留守の間に、部活を終えた次男と二人で、半分稲刈りを終えていました。

なんと!
次男は稲刈り機の操作を習得していました。(@_@;)

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日曜日、家族4人で田んぼに行くと、次男はすぐに稲刈り機を動かし、どんどん刈っていきました。
さすが、農業志望です。


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頼もしく成長したなと、私は何だか感動していました。


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あ、天然な長男も、言われたことはやってくれました。
超!マイペースですが、、、(笑)


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で、折角だから、最後の1列刈ってみない?

と、弟に言われ、ちょっとその気で操作を習い、いざ動かし始めたら、稲刈り機が調子悪くなって終了〜( ̄▽ ̄;)

長男らしい、、、(笑)


2日では終わらず、月曜日までかかりましたが、ハザ掛けも完了。

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例年の半分くらいの収穫量だと言われていますが、それでも美味しいお米が今年もできたこと 、天と主人と田んぼの師匠に感謝です。





播種をしてから約1ヶ月、、、

苗も伸びきり、もう限界じゃないですか?ってころに
ようやく代掻き。

手伝うよと言った私に、大丈夫だと言って
主人がたった一人で、行っていました。

河砂が、田んぼの取水口まで詰まって、水が溜まらないと
ずっと悩んでいました。

堰にも、大量の砂が詰まっていましたが、ここを使って田んぼを
やるのは、主人と高齢のもう一人の人だけなので、
2人では到底やれず、、、

私達の借りている田んぼは、取水口が水路とほぼ同じ
高さで、水の勢いがないと、田んぼに入っていきません。
もう1人の方の田んぼは、うちよりも低いので、
潤沢に水が入っていきます、、、

自然のことはどうにもできません。
なるようにしかならない、、、と、我々は仕方なく、
このまま田植えです。




主人は日曜日しか休みがないので、今年は5月29日に
田植えをしました。

師匠が、ずっとついていてくれて、見守ってくれました。

マラソンのコーチのように、

良いよ!上手だよ!

と、主人に声をかけてくれていました。笑

年に1度しか使わない農機具が多いので、その分不慣れだったり
トラブりやすいので、親切な師匠がいてくれて本当にありがたいです。




私は、トンボで轍を平らに直すのですが、水があまり入っていない
状態なので、はっきり言って硬くて平らにならず、めちゃくちゃ
疲れました。

暑い日で、飲み物を買いに行ってきました。
隣の畑のおばあちゃんの分も、ついでに。

届けると、とても喜んで、お礼にと新じゃがと大根を
たくさん持たせてくれました。

かえって申し訳なかったけど、嬉しかったです。



この田植え機、カメレオンみたいでかわいいでしょう?(≧∇≦)

お昼過ぎには、1反弱を植え終わりました。



おばあちゃんが、

「大根の葉っぱと、ツナ缶炒めると美味しいよぉ〜」

って教えてくれたので、それでスパゲッティを作って食べました。
美味しくて、長男はお代わりしました。


午後からは、私は風鈴を作らなくてはならず、窯に火を点けました。
主人は、機械が入れなかったスペースへ、手植えに行きました。




夕方、水が入っているか心配で、見に行きました。

ちゃんと入っていてホッとしました。
でも、日によって川の水位や勢いが変わるのと、モグラ穴のせいで
水が抜けたりするので、これからは水の管理が大変です。




夜は、新じゃがでコロッケを作りました。

子どもたちに大好評で、あっという間になくなりました。

今年も、ちゃんと順調に生育してほしいです。








2週間、記事書いていませんでした。

書かないと、日に閲覧者が30人くらいですね?
30人の方は、毎日(どうしたろう?)と心配してくださって
いるのでしょう、有難いことだなぁと、嬉しく思います。

いろいろめまぐるしく動いていて、夜は疲れて
こうして記事書くエネルギーが無くって、、、
んで、記事にすることはいっぱい溜まってしまい、
どこから書いたらいいのか、面倒になり、、、

どんだけのことがあったかと列挙すると、

ふるさと納税「ウミウシ宝石箱」の注文3件分の製作。
赤ちゃんのお位牌を2つ製作。
ガラス作家の会の会議
遺骨ペンダントの修理
沼津での次男の柔道の試合
弓の稽古
参観日
かも風鈴デザインコンテスト入賞作品の選考会
家庭教育学級の学級長として、肉まんあんまん作りの担当
長男の柔道の昇段審査
、、、


と、まあ、こんな具合。

そこへ、脱穀があったのですー




2度目の脱穀。



脱穀機は、今年高齢で田んぼを辞めてしまった方のものを
師匠が貰ってきてくれました。

これがなかなか曲者で、、、( ̄(工) ̄)

稲が湿っていると、巻き上げるところで詰まり、何度か
カバーを外して、ガッチリ固まってしまった米をほじくり出す
手間が加わって、なかなか終わりませんでした、、、

それに、この脱穀機は、ゴミ(茎など)をうまく飛ばせずに、
コンバイン袋に籾と茎が混ざって袋に入ってしまう、、、

機械のご機嫌うかがいながら、2日かけて終わらせました。( ̄(工) ̄)

藁を心待ちにしていた地主さんが、ソッコーで取りに来たらしく、
うちへわざわざ言いにきてくれました。

「明日、雨が降るから、さっき貰いに行ったよ。
濡らしちゃ困るんでな。^_^」


うわ!藁って、そんなに大事なんだなー。

隣で小さな畑をせっせと耕しているおばあちゃんも、
「藁ができたら、少し分けてくれる?」と、夏から
時々野菜をくださっていたので、持って行きました。

すると、

「これじゃあ申し訳ないから、お金払おうか?

って、恐縮そうに言ってた。と、主人が笑って話してくれました。


藁はどんどん手に入りにくくなり、みんな困っているようです。

そんなおばあちゃんがいる一方で、私たちが脱穀に必死な中、
田んぼにやってきた見知らぬおばあさん。

「ねぇ、あのさ、、、この藁一巻き、くんない?」

はぁ?
あんた誰?

って思ったし、その口の利き方ないよなと思ったけど、
主人は「うん」とうなづいて持って行かせました。

「藁、なんかするの?使わないら?」

って言うので、この後、田んぼの土壌改良に、
粉砕してすきこむんですよ、って言ったけど、聞き流し、

「じゃあ、もらっていくよ!
んで、あんたち見ない顔だけん、どこの人?」


って、聞かれた。

言ったけど、「ふーん、、、」って、行っちゃった。
こんな風に、私たちにはいらないものと思ってる人もいる。(笑)

というわけで、稲の中で寝ていたカエルやバッタを
巻き込まないように逃がしながら脱穀は終了〜




コンバイン袋で、23.5袋できました。
(茎入り)

明らかに、家族4人では食べきれない量ですがー(≧∇≦)


さて去年、地主さんに貰った精米機で精米。

http://fglass.i-ra.jp/e777778.html



温かな白い米がサラサラ流れてきます。



毎度、この瞬間は感動〜

あの小さな籾一粒が、何十粒にもなるんだなー。
肥料も農薬も、田植えの時に1度つかっただけです。

そして、コンバイン袋の山を見て、

(これで1年以上は餓死しないぞ)

という安心感と!(笑)


脱穀を終えて、主人がバイトに行き、私はその後も
脱穀機が取り忘れた籾を探して藁の束を、つぶさにチェック。

結構な量の落穂になるんですよ。

ミレーの落穂拾いを思い出すけど、これはかなり
貧しい人のためになっただろうなーって、思うのです。

脱穀の仕方は、次男に習いました。
学校でバケツ苗を育てた時、茶碗でこそいで脱穀したって。



なかなかうまく外せましたよ!(≧∇≦)




落穂拾いでヘトヘトで車に戻るとき、自宅の方の山に
虹色の帯が見えました。

お米は今年も美味しかったです。^_^






ずいぶん更新していませんでしたね。

毎日めまぐるしく動き回っています。
弓道の昇段審査が終わった後は、稲刈りでした。

2度目の稲刈り。

もっと早くやった方が良かったんですが、とにかく毎週末
運動会やら祭りやら試合やらで、超忙しくて。
稲もこんがりきつね色になってしまい、主人は慌てていました。

春に田植えを手伝ったら、翌日大熱出した私。!(◎_◎;)

田植えで冷えて熱出たんだ、、、

って、ポロッと言ったら、

「もう手伝わなくて良い!(♯`∧´)」

と言われ、「アッソ!(*`へ´*)」と、一度も手伝わなかった今回。

主人はたった一人で、ここまで稲を育てました。



約、一反弱あります。
どのくらいの広さかって??
300坪だそうです。

夏の暑い日も、大汗かきながら、蚊にボコボコにされながら
必死に雑草を採ってました。

農薬撒けば済むのに、、、って、周りの人が言っていきましたが、
撒きませんでした。



家族4人では、到底食べきることができないほどのお米が
今年もできました。

「前回よりも収量が多いんじゃないか?」と師匠が。
そうかな~?
素人だから、全然わからない。


さて、主人が稲刈り機で稲を刈り、私は稲刈り機が回転しやすいよう、
手刈りで四隅を刈ります。
これが大変!!(◎_◎;)

昔の人は、ぜ〜〜〜〜んぶ手で刈ったんですよね?
本当にすごく重労働だったと思います。


稲を干す骨組みを、「牛」と言うそうです。



これが風でいつも倒れます

2日目の朝、すでに倒れてたので直したんですが、去年健康上の理由で
田んぼを引退した近くの田んぼのおじいちゃんが、
ノルディックウォーキングの途中でわざわざ降りてきて話しかけてきました。

上から見たら、うちの"牛がグニャグニャ”で気になったと。

「いや、誰かがそう教えたなら、
悪いから口出さないけど、、、」


と、控えめに、、、^_^

いや、組み方とかは習ってないんで、見よう見まねです。

って答えたら、

「これでは安定しないから、風に弱いよ」

と、三本の足の組み方や、自分がやっていたときに編み出したコツ
私たちに授けて、また歩いて行きました。

「みんな、何も知らないで始めるんだからさ。
失敗して、頭使って、上手になっていくんだからさ。」


と、励ましてくれました。


田んぼは小、中学校の真裏なのですが、やはり田んぼをやっている先生が見に来て、

「これを2人では大変!
明日は午後から息子さんを投入しますから!」


と。笑

実際、この日の放課後、長男が

「お父さんたちが頑張っているから、
手伝ってこいって先生が、、、」


と、寄ってくれました。

校長先生も、「牛が倒れてましたね!」と、心配して話しかけてくれました。



次の日も、課外授業で早上がりだった長男が
先生の言葉通り、直帰で来てくれました。

私が指示したことやってくれるのは15歳にもなれば当然ですが、
私が持とうとした稲藁を、さっと持ってくれたりする背中が逞しく、
嬉しくもありました。



夕方主人がバイトに行った後も、息子と二人でとっぷり日が暮れるまでがんばりました。


3日目、今度は次男が寄ってくれましたが、半ズボンの半そでだったので
お手伝いは遠慮願いました。
子供たちはもう来ませんでしたが(笑)この日で、稲刈り自体は終わりました。


4日目になると、さすがに身体が言うことを聞かないほど疲れていて
途中で動かなくなり、しばらく立ちすくんでしまうほどでした。

それでもなんとか、牛を立て、稲を掛け終わりました。







ドットのような跡が、稲を植えた跡なんだな~と、何だか感慨深い。



師匠が、

『刈った跡の稲の本数を数えておきな。
田植え機で植えた時は、3~4本に設定してあったんだから、
どれだけ分けつしたか、それでわかるから。
君たちの稲は相当良く育ってるから、多いはずだよ!』


と火曜日に機械を見てもらった時に言っていたので、数えてみました。
28本ありました。
20本くらいが普通だからと言われたので、良く育ったみたいです。


最後の最後で、もう疲れたのに牛が足らなくて、主人が間に横木を掛けていました。




中に入ると、子供のころ良く作った秘密基地みたいでワクワクします。




シャラシャラと、お米が風にそよぎます。
イカの卵みたいで、可愛いのです。笑

ここに、スズメがぶら下がって、稲を引っ張り食べます。

今日も見てきたけど、結構引っ張られて落ちていました。
まあ、食べきれないほどだから、スズメに食べられてもまだあります。




干した翌日、昨日から雨ですがー笑
あとは、水分量を測定してもらって、ベストな時期に脱穀だそうです。





この春は、残念だけど諦めることがいくつかありました。
そのひとつに、稲作があります。




4月27日、主人と次男と播種機で籾を蒔きました。
今年も、昨年同様、青々とした苗ができると思っていました。


しかし、待てど暮らせど芽が伸びませんでした。
出ても、本当に数えるくらい、、、

寒すぎたんだろう。
と、師匠が言うので、昼夜暖かい工房に置くことに。




本来なら、溢れるほどの緑の苗で覆われていなければなりません。

師匠が毎日見に来てくれて、栄養剤などを撒いてくれたり、
手を尽くしてくれましたが、変化は見られませんでした。

籾を消毒するためにお湯に浸けるのですが、熱すぎて煮えて
しまったのかもなと今になって思い返したりします。

この春は、ちょっと問題が起こり、先行きが不透明になって、
果してたんぼに全力投球できるか不安でした。
そんなあやふやな気持ちで始めたからでしょうか?
苗の方から「お断りだよ!」って、辞めたのかもなんて、思ったり、、、


できた苗を買ってくるという選択肢や、再度籾から苗を育てるという
選択肢もあったのですが、先の不安材料が心をよぎり、師匠には
諦めたいと伝えました。


地主さんにも、やり直せっていわれたけど、諦める旨伝えました。

そうか、、、

と無理強いせず、去年から言ってくれていた、精米機をくれました。

「米はもうないから、使わないしな。
おらぁ、もうたんぼやんないからさ!」




12年前の精米機でしたが、コンパクトでまだまだ綺麗なものでした。
今まで、隣町のコイン精米所まで運んでいたので、お金も手間も
かかりましたから、とても嬉しい機械です。


使い方も、教えてくれました。




真っ白なお米がサラサラと出てきました。

私たちは、まだ100キロくらい貯えがあるので、そのまま20キロほどの
白米にして、配達しました。

また、無くなったら持ってきますね!と言ったら

「ダメだ!こんなたくさん。
あんたちは、今年は米が採れないだから、これは食べるに取っとかないと!」

と、言ってくれました。

「これじゃあ悪ぃから、、、」

と、たくさんのジャガ芋と、玉ねぎをまた持ってきてくれました。(・_;)


この間、主人がたんぼの草刈りに行ったら、近所の女性が、

今年はたんぼやらないのか?

と、聞いてきたそうです。

事情を話したら、楽しみに応援していたのに残念、、、と言ったそうです。


近所の御隠居さんも、たんぼどうした?と気にして訪ねてくれました。

近所で稲作をしているおじさんも、

「オイ!お前っち、たんぼ止したって言うじゃん!
何でオレに言わないだぁ?
どうにでもやりようがあったのに、、、」

と、心配して怒鳴り込んで来ました。(笑)


「そうか、、、まあ、仕方ない。来年は、オラと一緒にやろうじゃ!
何でも教えてやるからさぁ。遠慮しないでさぁ!」


私の愛するこの土地は、そんな人達が暮らしています。

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