夜、お風呂に入っていたら電話が鳴りました。
主人が受け答えしていたのですが、お風呂に入っているのにも
関わらず、子機を持ってきました。
そんなに大事な電話か???
と、不思議に思いながら、もしもしと出ると、、、
『あの、、、私、浜松のサゴーで
『シュガー』というお店の店長だったものですが、、、
わかります???』
一瞬、頭の中が真っ白になったのですが、すぐに
『あっ!!!』
と、声が出ました。
そうです。
今は無くなってしまったけど、私が高校生だったバブルのころ、
流行の先端を行っていたファッションビル〝サゴー"
あの頃、私は絵画教室へ通う為に学校に内緒でわざわざ
浜松まで出てきて、ファミレスで働いていました。
この間の記事の、村井さんともそこで出会いました。
私は、家からおこずかいはもらっていませんでした。
だからいつも金欠で、電車で浜松へ来るのがやっとでした。
でも、自分らしく見せる洋服をいつも欲しくて、、、
周りの子はみんなお母さんに頼んで買ってもらった!と
素敵な服やブランドの服を着ていました。
本当に本当にうらやましかった。
だからお金が無くても、松菱や西武、丸井やサゴーへ
足しげく通い、たくさんの洋服を見ました。
時代はまさに、DCブランド全盛の時。
街は煌びやかで、いつもたくさんの人で溢れていて、
活気があって、浜松は本当に素敵な街でした。
そんな時、ふらりとシュガーに入ってみたのです。
シュガーは、とってもかわいい洋服のお店でした。
レースやギャザーがいっぱいだったけど、ピンクハウス程ではなく、
もっとシックなカラーリングも揃えてありました。
あの頃の店長さんは、失礼だけどかなり年上でした。
もう大きなお子さんがいてもおかしくないほどに見えました。
とても気さくな方で、いつも誰にでも話しかけ、
それが嫌味ではなく、サバサバと軽やかで小気味良く、
シュガーの服も、全然違和感なく着こなしていらっしゃって
それがまたかっこよかった記憶があります。
私の財布にはいつも数百円しか入っていませんでした。
お金があったら、油絵具か、木炭を買いましたから、、、
けど私が一度も買い物しなくても、店長さんはいつも私が行けば
『あら!』と、嬉しそうにしてくれました。
高校を卒業して、アルバイトを掛け持ちしながらガラス学校の
学費を稼ぐようになった時、私は思いきってベージュ色のショートコートを
買ったのです。
ボタンがチェルシーのように美味しそうで、襟はコーデュロイ。
裏地がブラックウォッチのネル素材でした。
本当に大好きで、何年も愛用しましたが、さすがに古くなり
一昨年処分しました。
だけど、大好きなボタンはとっておきました。
そんな大好きなブランドの店長さんからお電話。
一体、なぜ私の家がわかったのでしょう?
『実はね、テレビであなたのことを見たことがあったの。
伊豆に住んでいて、ガラスをやっている、、、って。
それで姉といっしょに、今日西伊豆へ行ってみたのよ。
わからないから、クリスタルパークへ行って、
お店の人に聞いたら
多分淳子さんじゃないか?って教えてもらって、、、
けど、道がわからなくなって、、、
電話したんだけどお留守でね。
仕方なく帰ってきたのよ。
でも、電話できてよかったわ!!』
そうです。
その日、私は留守にしていて、主人はアルバイト。
だから誰もいなかったのです。
『ガラス、続けていたのね!
工房まで建てたのね??
そう、、、とうとう夢が叶ったのね?』
そう言われて、また驚いたのです。
私は、彼女にそんな話までしていたのでしょうか?
きっと、コートを買ったときに話したのでしょう。
私はそんなこと、すっかり忘れていました。
店長さんは、ずっとずっと、私のこと25年近く
忘れていなかったのです。
『お子さん、2人もいるの?
ああ、素敵ね!幸せなのね!!』
と、電話の向こうで心から喜んでくださっているのを聞いて、
ああ、なんて幸せなんだろうと感激していました。
この間、本屋でちらっと読んだ本に、書いてあった1文が
頭をよぎりました。
『自分のことを気にかけてくれている人が
どこかにいるということを知ることは、本当に幸せだ。』
きっとまた、お会いできるでしょう。
25年分のお話、お互いにしたいなと思っています。
主人が受け答えしていたのですが、お風呂に入っているのにも
関わらず、子機を持ってきました。
そんなに大事な電話か???
と、不思議に思いながら、もしもしと出ると、、、
『あの、、、私、浜松のサゴーで
『シュガー』というお店の店長だったものですが、、、
わかります???』
一瞬、頭の中が真っ白になったのですが、すぐに
『あっ!!!』
と、声が出ました。
そうです。
今は無くなってしまったけど、私が高校生だったバブルのころ、
流行の先端を行っていたファッションビル〝サゴー"
あの頃、私は絵画教室へ通う為に学校に内緒でわざわざ
浜松まで出てきて、ファミレスで働いていました。
この間の記事の、村井さんともそこで出会いました。
私は、家からおこずかいはもらっていませんでした。
だからいつも金欠で、電車で浜松へ来るのがやっとでした。
でも、自分らしく見せる洋服をいつも欲しくて、、、
周りの子はみんなお母さんに頼んで買ってもらった!と
素敵な服やブランドの服を着ていました。
本当に本当にうらやましかった。
だからお金が無くても、松菱や西武、丸井やサゴーへ
足しげく通い、たくさんの洋服を見ました。
時代はまさに、DCブランド全盛の時。
街は煌びやかで、いつもたくさんの人で溢れていて、
活気があって、浜松は本当に素敵な街でした。
そんな時、ふらりとシュガーに入ってみたのです。
シュガーは、とってもかわいい洋服のお店でした。
レースやギャザーがいっぱいだったけど、ピンクハウス程ではなく、
もっとシックなカラーリングも揃えてありました。
あの頃の店長さんは、失礼だけどかなり年上でした。
もう大きなお子さんがいてもおかしくないほどに見えました。
とても気さくな方で、いつも誰にでも話しかけ、
それが嫌味ではなく、サバサバと軽やかで小気味良く、
シュガーの服も、全然違和感なく着こなしていらっしゃって
それがまたかっこよかった記憶があります。
私の財布にはいつも数百円しか入っていませんでした。
お金があったら、油絵具か、木炭を買いましたから、、、
けど私が一度も買い物しなくても、店長さんはいつも私が行けば
『あら!』と、嬉しそうにしてくれました。
高校を卒業して、アルバイトを掛け持ちしながらガラス学校の
学費を稼ぐようになった時、私は思いきってベージュ色のショートコートを
買ったのです。
ボタンがチェルシーのように美味しそうで、襟はコーデュロイ。
裏地がブラックウォッチのネル素材でした。
本当に大好きで、何年も愛用しましたが、さすがに古くなり
一昨年処分しました。
だけど、大好きなボタンはとっておきました。
そんな大好きなブランドの店長さんからお電話。
一体、なぜ私の家がわかったのでしょう?
『実はね、テレビであなたのことを見たことがあったの。
伊豆に住んでいて、ガラスをやっている、、、って。
それで姉といっしょに、今日西伊豆へ行ってみたのよ。
わからないから、クリスタルパークへ行って、
お店の人に聞いたら
多分淳子さんじゃないか?って教えてもらって、、、
けど、道がわからなくなって、、、
電話したんだけどお留守でね。
仕方なく帰ってきたのよ。
でも、電話できてよかったわ!!』
そうです。
その日、私は留守にしていて、主人はアルバイト。
だから誰もいなかったのです。
『ガラス、続けていたのね!
工房まで建てたのね??
そう、、、とうとう夢が叶ったのね?』
そう言われて、また驚いたのです。
私は、彼女にそんな話までしていたのでしょうか?
きっと、コートを買ったときに話したのでしょう。
私はそんなこと、すっかり忘れていました。
店長さんは、ずっとずっと、私のこと25年近く
忘れていなかったのです。
『お子さん、2人もいるの?
ああ、素敵ね!幸せなのね!!』
と、電話の向こうで心から喜んでくださっているのを聞いて、
ああ、なんて幸せなんだろうと感激していました。
この間、本屋でちらっと読んだ本に、書いてあった1文が
頭をよぎりました。
『自分のことを気にかけてくれている人が
どこかにいるということを知ることは、本当に幸せだ。』
きっとまた、お会いできるでしょう。
25年分のお話、お互いにしたいなと思っています。