『灯台もと暮らし 』西伊豆ガラス工房FARO徒然日記

タグ:たんぼ

この春は、残念だけど諦めることがいくつかありました。
そのひとつに、稲作があります。




4月27日、主人と次男と播種機で籾を蒔きました。
今年も、昨年同様、青々とした苗ができると思っていました。


しかし、待てど暮らせど芽が伸びませんでした。
出ても、本当に数えるくらい、、、

寒すぎたんだろう。
と、師匠が言うので、昼夜暖かい工房に置くことに。




本来なら、溢れるほどの緑の苗で覆われていなければなりません。

師匠が毎日見に来てくれて、栄養剤などを撒いてくれたり、
手を尽くしてくれましたが、変化は見られませんでした。

籾を消毒するためにお湯に浸けるのですが、熱すぎて煮えて
しまったのかもなと今になって思い返したりします。

この春は、ちょっと問題が起こり、先行きが不透明になって、
果してたんぼに全力投球できるか不安でした。
そんなあやふやな気持ちで始めたからでしょうか?
苗の方から「お断りだよ!」って、辞めたのかもなんて、思ったり、、、


できた苗を買ってくるという選択肢や、再度籾から苗を育てるという
選択肢もあったのですが、先の不安材料が心をよぎり、師匠には
諦めたいと伝えました。


地主さんにも、やり直せっていわれたけど、諦める旨伝えました。

そうか、、、

と無理強いせず、去年から言ってくれていた、精米機をくれました。

「米はもうないから、使わないしな。
おらぁ、もうたんぼやんないからさ!」




12年前の精米機でしたが、コンパクトでまだまだ綺麗なものでした。
今まで、隣町のコイン精米所まで運んでいたので、お金も手間も
かかりましたから、とても嬉しい機械です。


使い方も、教えてくれました。




真っ白なお米がサラサラと出てきました。

私たちは、まだ100キロくらい貯えがあるので、そのまま20キロほどの
白米にして、配達しました。

また、無くなったら持ってきますね!と言ったら

「ダメだ!こんなたくさん。
あんたちは、今年は米が採れないだから、これは食べるに取っとかないと!」

と、言ってくれました。

「これじゃあ悪ぃから、、、」

と、たくさんのジャガ芋と、玉ねぎをまた持ってきてくれました。(・_;)


この間、主人がたんぼの草刈りに行ったら、近所の女性が、

今年はたんぼやらないのか?

と、聞いてきたそうです。

事情を話したら、楽しみに応援していたのに残念、、、と言ったそうです。


近所の御隠居さんも、たんぼどうした?と気にして訪ねてくれました。

近所で稲作をしているおじさんも、

「オイ!お前っち、たんぼ止したって言うじゃん!
何でオレに言わないだぁ?
どうにでもやりようがあったのに、、、」

と、心配して怒鳴り込んで来ました。(笑)


「そうか、、、まあ、仕方ない。来年は、オラと一緒にやろうじゃ!
何でも教えてやるからさぁ。遠慮しないでさぁ!」


私の愛するこの土地は、そんな人達が暮らしています。

今年の初め、主人が何気なくつぶやいた

「たんぼやってみたいな~」

という言葉を聞き逃さなかった農業委員の方が、
ソッコーで、田んぼを辞めるという方と話をつけ、

「空いた田んぼがあるから、やってみないか?
わからないことは、皆教えるから!」


と、気付いたら田んぼをやらざるを得ない状況に、、、

冬の間から、地主さんと耕したり、肥料を入れたり一緒に準備していました。

春になり、もう一度土を起こして、肥料をやり、籾を買って、
培養度に撒いて、育て始めました。

そんな時突然、主人の妹さんが余命わずかだとの連絡。
主人は全てを投げ捨てて、千葉に飛んで行ってしまいました。
戻ってきても、毎週のように千葉へ介護に帰りました。

私は、ひとりで家を守り、いよいよ田んぼに水を入れました。
ところが、上手く入れることができず、入った水は毎日モグラのせいで空に、、、
隣のおじさんの畑が、毎日のように洪水になっていて、
そのたび嫌味を言われて泣きたくなりました。

(今日は、叱られませんように)
と、祈る気持ちで、毎朝、毎昼、毎夕、田んぼを見に行きました。

水が何とか入るように師匠達が手伝ってくれて、苗も何とか育てました。
アルバイトもしていました。だって、窯が壊れたままでしたから。
主人の気持ちは、すっかりガラスから離れてしまっていました。

(ああ、もうこのまま、ガラスは終わりかな~)

そんな風に思いながら、いよいよ代かきの日になりました。
一人ではとてもできないよと、師匠達がトラクターで駆けつけてくれました。
私は後ろから、トンボを使ってへとへとになりながら、均していきました。

そこへ、主人から

「今、眠るように亡くなった。」

と、電話がありました。

「たんぼのことは、もうどうでもいいから、
そのまま放っておけ。」


そう言われたけど、私は悔しくて、そのまま続けることにしました。

田植えを目前にして、告別式の為、家族で斎場に向かいました。

「嵐が来る前に今日田植えしておいたからね。
ゆっくりしておいで!」


と、師匠から電話がありました。
師匠達が田植えをしてくれたのです。
帰ってきて、苗がず~っと続いている様子を見て、本当に感激しました。

主人の気持ちはなかなかガラスに向かいませんでしたが、
3か月ほど経って、突然窯を直してくれました。
田んぼも、私に代わって世話してくれるようになりました。
モグラとの戦いは壮絶でしたが、へこたれずに頑張っていました。

7月の水害では、砂礫で水路が詰まり、田んぼに水が来なくなってしまいました。
こんなに頑張ってきたのに、、、と、悔しかったけど、
自然には勝てないし、なるようにしかならないと思っていました。

しかしそのころは、ちょうど『中干し』といって、少し地を固くするために
水を止める時期に当たるそうで、1週間ほど止まっても大丈夫!と、
師匠達が元気づけてくれました。

水路が復旧し、再び水が入った田んぼは、ものすごいひび割れで
悲惨でしたが、それでも稲はちゃんと育ってくれました。

先月、クラフトフェアから帰ったら、今年一度もガラスを吹かなかった主人が、
グラスを吹いていて、びっくりしました。

黄金色のグラスを、、、

先日、子どもたちと家族四人で稲刈りをしました。
田んぼの稲は、日を浴びて本当に眩しいくらいに輝いています。




お米の籾の周りには、キラキラと輝く透明の毛がいっぱいでした。

イネ科の植物には、”プラント・オパール”と呼ばれる、植物性のシリカが
含まれていて、それでお米が透明に輝いていたり、葉っぱが
ギザギザして手が切れたりするんだそうです。

ガラスの主原料である珪砂も、シリカから成ります。
以前、

”ヤギのウンチを集めて溶かすとガラスになるらしい、、、”

と、試していらっしゃったヤギ飼い仲間さんがいて、本当にガラス質の物質ができていました。

ヤギもイネ科の植物が大好きで、ウンチにはいっぱいシリカが含まれているんです。

ガラスとお米、、、
思いがけず、共通項があるとわかり、不思議だな~って思うのです。

そして、お米を作ることができたという経験は、私に不思議な自信をもたらしました。

『生きて行くために必要なお米を、私は作ることができる』

主人も、深い悲しみから立ち直ろうとしています。

田んぼからは、本当にたくさんのことを学び、感じさせられました。
助けてくださった、全ての方にも感謝の気持ちが溢れてきます。
大変だったけど、素晴らしい経験でした。
大変だったから、来年やるかどうかは別としてー(笑)

あとは、新米をいつ食べられるのかな~



米はいいから、藁くださ~~~~い!!!

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