『灯台もと暮らし 』西伊豆ガラス工房FARO徒然日記

2016年02月

今日、秋ちゃんと時ちゃんが仲良く天国へ旅立ちました。




昨日の朝、脱走していた時ちゃんが、かじったらしい
玄関先に置いておいた大根の歯型を見て、今朝私は

バカだなぁ、、、

って笑って写真に収めていました。

ここで生まれた時ちゃんでした。

http://www.f-faro.com/YAGI.html

天真爛漫で、いつもニコニコ、可愛いオスでした。
お母さんの秋ちゃんは、主人のことが大好き。
いつもそばを離れませんでした。



2007年にやってきて、一ヶ月後に時ちゃんがいきなり
生まれてから、毎日テンヤワンヤ、これが日常になりました。
あれから8年。

こんなに突然、一度に2頭ともお別れとは。


最近、管理を任されているミカン畑が、日当たりが良く、
草も生えていることに気づいた主人が、1週間ほど前から
そこへヤギーズを連れて行くようになりました。

周りは獣除けに柵が張り巡らされていて、これなら
逃げないし、犬にも噛まれないと。

ヤギーズもお気に入りで、ここ数日は自ら喜んで
行くようになっていました。

それなのに、、、



この中にいて、猟犬に噛み殺されるなんて!


(そろそろお昼作らないとな、、、)

と思っていたとき、工房の入り口にハンターの男性が。

「あそこのミカン畑に、ヤギを放しているのはこちらですか?」

私は、手が震えてきました。

「実は犬が、おたくのヤギを噛んで、一頭はもうダメで、
もう一頭はどうか、、、」

って聞くや否や私は主人に叫んでいました。

(一頭はもうダメ、、、
一頭はもうダメ、、、)

家の鍵も車の鍵も、手が震えて入りません。

急いで500メートルほど離れたミカン畑へ行くと、
そこには何人もの猟友会の人たちが。

柵の中で、主人は横たわった時ちゃんを抱きしめて

「この中なら、大丈夫だって思ったのに!」

と、呼びに来た男性に叫んでいました。

私は秋ちゃんを探しました。

秋ちゃんは血まみれで座って、荒い呼吸をしていました

後で名簿をもらってわかったのですが、呼びに来た男性は
清水町の人で、このチームの会長でした。

みんな清水町や函南町、遠くは静岡市からのハンターで、
地元の人ではありませんでした。

彼らの猟犬は、山側のどこからかミカン畑に入り、
秋ちゃん達を噛んだそうです。


「今、獣医さんに電話したんですけど、月曜はどこも
休みで、、、」

って言われたけど、ヤギは犬猫病院ではダメなんです!
って、急ぎ家畜病院まで1時間以上かけて秋ちゃんを
連れて行きました。

可愛そうな時ちゃんは、ブルーシートに包まれて、
庭に置き去りにするしかありませんでした。

秋ちゃんは、ハンターが貸してくれた、仕留めた獲物を
入れるトロ箱に乗ったまま。

家畜病院では、駐車場で野戦病院並みの手当てしか
できないけど、と、忙しい診療の合間に、穴だらけの
秋ちゃんを縫ってもらい、抗生物質の注射をもらい、
再び家へ向かいました。

5年前にも、やられたのです。

http://fglass.i-ra.jp/e896526.html

でも、秋ちゃんは復活しました。
強い子です。
きっと持ち直してくれるはず!

背後で痙攣している秋ちゃんに、声をかけながら、
途中で様子をみようと停車したところで、秋ちゃんは
こと切れました。

私たちは叫んで呼び戻したり、主人は口から人工呼吸
したけど、目の光がどんどん暗くなるのがわかりました。

そこから一切言葉を交わさずに帰りました。

近所に寄り小屋がある猟友会の人たちが、様子を見に
来たので、秋ちゃんも死んでしまったことを伝え、
この大きな彼らを埋葬するのを手伝って欲しいと
頼みました。

会長が、地主に掛け合って、彼らの小屋のそばの山に
埋めてくれるということになりました。

穴を掘ってもらっている間、子供たちが帰宅して
血まみれのヤギ達を前に、オイオイ泣いてる父親を見て、
次男もポロポロ涙を流していました。

私は、白い身体を染めている固まった血を拭きました。
主人は彼らが喜んだブラッシング。
お線香を焚いて、その時を待っていました。

空が、ものすごいオレンジ色に染まってきた頃、
ヤギーズに迎えが来ました。

私たちも一緒に。

山の奥、暗くなる中、ハンター達に運ばれて、
穴に並べられました。



親子一緒なら寂しくないでしょうか?



主人が最初に土をかけました。
顔の周りにそっと、、、



後は、ハンターの皆さんがあっという間に埋めました。



出てきた手頃な石に、名前を書くと言って名前を聞かれたので、
秋と時です。と知らせると、

「アキ トキ」

と、カタカナで書いてくれ、載せてくれました。




お線香も用意してくれて、みんなでお焼香しました。

1人のハンターが、

「アキちゃんトキちゃん、ごめんなさい。
安らかに眠ってください。」

と言ってくれ、皆で手を合わせました。

もうそれで良い気がしました

主人は、

「お世話かけました、、、」

と、丁寧に礼を言っていました。

「別のヤギを、探したほうが良ければ探してきます。」

って、言われたけど、私たちは、別のヤギなんかいりません。

アキちゃんトキちゃんじゃなくて、秋ちゃんと時ちゃんに
会いたいのです。


「とりあえず、今日かかったお金だけ、、、」

と、治療費と、バイパスの往復の交通費をくれました。

「は、じゃ、10800円。
すいませんね、、、」

と、会計のおじさんにお金をもらった瞬間、
自分が急に愚かに思えました。

こんな金、もらったってしょうがないじゃないか!

夕方、地元の猟友会の会長の息子であるビロちゃんが、
怒りながら心配してきてくれました。

最後に

「今日、猟の最後の日だったんだよ。」

そう聞いたら、私は涙がドッと溢れてしまいました。

主人もそれを聞いて、とうとう声をあげて泣きました。

(自分が連れて行かなかったら、、、)

と、何度も何度も

「お父ちゃんが悪かった」

と、最後まで2頭の耳元で謝っていたのでした。


つい数日前まで、ヤギと鳥と猫で、いっぱいだったのに。
今日からは、工場長だけです。


8年間、2頭を愛してくださって、本当にありがとうございました。


フェイスブックのヤギーズ

https://www.facebook.com/media/set/?set=a.447023785349303.119954.100001250573627&type=1&l=8bf7f43d2c

ブログでのヤギーズ

http://fglass.i-ra.jp/c83940.html


この間、町内の知人が来た。

もうすぐ烏骨鶏が来るんですよ〜(≧∇≦)
と、ヤギを見ている彼女に言ったら

「ねえ、淳子さん!
私今年定年なのよー。
何かやりたいの!
このままじゃ、西伊豆町終わりよ!」

県下ナンバー1の高齢化率。
そして限界集落。

うちの次男は、この地区の最後の小学生。
あと数年は小学生が居ない。

働く場所がなく、若者はみな都会に出たままここへは戻らない。
彼女の子供たちもそうだ。

「何かしないと、ダメだって思うの。
このままじゃ町はダメよ!
だけど、何やって良いかわからないの、、、
何やったら良い?」

ウッと言葉に詰まった。
一方で、町がダメになるって、具体的にどういうことかなと
ちょっと悩んだ。

それで、秋に行った能登島のこと思い出した。



ガラス美術館さんで、パンフレットコーナー見てたら、
地元の手作り新聞のようなものを見つけた。

中身は、能登島の小さな小さなトピックスや豆知識など。

野生動物の紹介がトップ記事で、開くと個人的な
サークル活動なども紹介されてた。

誰々さんの編み物教室、とか、そういうの。

編み物教室!
近所にあったら行きたいな〜(≧∇≦)

弓道の先輩に裁縫も編み物もなんでもできる方がいるけど、
若い頃の通勤の途中に毛糸屋さんがあり、そこでは
ただで編み物を教えてくれるので、会社帰りに立ち寄って
そこで習いながら毛糸も買って、、、と覚えたと聞いた時、

(良いな〜)

って思ったを思い出した。

町づくりを、個人がやるのは不可能だ。
でも、こっちに来て驚いたのは、おじいちゃんおばあちゃんたちの
田舎暮らしの知恵や経験からくるスキルの高さだ。

本人は大したことないって思っても、それぞれの技術力半端ない。

おばあちゃんたちだったら、編み物できる人、お漬物上手な人、
お寿司や味噌作れる人、着付け、裁縫も。
みんな上手で、私はいつも唸る。

普通に主婦してきただけだって皆さんおっしゃるけど、
それはそれは長い時間経験を積んで会得した技術だと思う。

他にもいっぱいいろんなことできる人がいるはず。

そういう人たちにスポットが当たるような町づくりを
すれば、魅力が押し出せる気がしたのだ。

それを能登島で気付いたんだよって彼女に話してみた。

「ふーん、、、」

って、答えが期待外れだったような顔をした。


「どうしたら良い?」

って聞くってことは、私に何か期待していたのだろうか?と、
そのガッカリした顔を見て思った。

ガラスで何かして欲しいってことかな?
例えば、ここでクラフトフェアとかのイベントやってほしいとか?

そういうことも個人でやれるよね。
あちこちで、庭先でやれば楽しいと思う。
アメリカ人みたいなガレージセール。(≧∇≦)

住民が、

こんな毎日が送りたい!

って願う通りに生きていれば、町が輝きだすと思う。

お金がなければ自給自足だ。
肉が食べたければ、山に鹿、いっぱい居る。
米も野菜も作ればいい。

大量消費が好きな人は、ここに住む必要はない。
西伊豆の豊かな自然が好きな人が集まれば良い。

まあ、買い物なんて、私はネットで世界中のもの買ってるし、
逆に外国の方にも売ってるけどね!

誰かが何かしてくれるっていう、受け身な期待は
もう時代遅れだと思う。

ましてや、他所から来た私に過剰な期待をされても困る。

私はもう、ここでやれること、20年で全部やり尽くした。
町へ約束したことも全て。

赤ちゃんの手形。
吹きガラスの教室。 ←誰も来なくなって終了
ガラス体験。
かも風鈴の開発も手伝ったし、ボランティアでの
キャンドルナイトも行っている。

子どもも2人産んで、住民増やした。
ネットや制作活動で、町のこといっぱい紹介してる。
女性会の活動もしたし、今は町の保健委員やってる。

これだけやれば、十分だと思ってる。

誰かにヘルプを頼まれれば、喜んで手伝う。
でも、丸投げはもう勘弁してほしい。

昨日も、オーダーメイドの依頼があり、何かいいアイデアは?
とか、どうしたらいいんでしょうね?ってすぐにおっしゃるので

「お客様が、どうしたいのかを固めてからお問い合わせください。」

とお伝えした。

そう。

どうしたら良い?

ではなく、あなたはどう生きたいか?
それが全ての問いであり答えだ。

町がダメになるのは、住民が毎日をつまらなく過ごした結果じゃないか?

そうなる前に、まず自らの日常を過ごしやすく、楽しくするべきだ。

って彼女には言えなかったけど、そう思うのだ。

誰かのせいにしないで、自分の人生に責任持って
みんなが進めば、周りが変わっても怖いことはないと思う

なーーんて書いたら、またどこからか問題視されるかな?
この記事、、、



先月28日にやってきたとりーズ。

毎朝、

コケコッコーーーーー!

と鳴き、モリモリ食べて大きなウンチして元気で
暮らしていました。

マジマジと見たことがなかったので、想像以上に可愛いのだと知り、
こんなに可愛いのに食材まで提供してくれる、有難い生き物だと
感激して毎日可愛がっていました。

烏骨鶏のメスは、時々小さな卵を産んでくれました。

仮設の小屋だったので、仕事の合間に主人が悩みながら、材料を
買いに行き、少しずつ頑丈な小屋を作り、あと少しで新居完成、、、




という昨日の朝、いきなり何かに襲われて、、、
それも3羽全て、お腹だけ食べられて。

あっけなく楽しい日々が終わりました。

前日の卵は、次男が取ってきてくれていたのですが、
今朝は彼が、その最後の卵を残念そうに大切にいただきました。

これらは、私が後になって知ったこと。

実は、何日も青色申告の入力や準備で、ろくに寝ていなかった
私はこの朝寝坊をして、起きしなに主人に告げられた
ようですが、聞こえておらず、、、

夕飯の時に「寂しいね」と主人がつぶやき、そこで初めて知って、
私はショックで落ち込みました。

その後行ったスーパーの卵売り場で、悲しくなりました。

すぐに、烏骨鶏をくださった方に連絡しました。

怒られるかもしれないと思いました。
あんなに手塩にかけて育てたのに、2週間で死なせるなんて!

けれど、私が落ち込んでいないか気遣ってくださいました。
イタチにやられるのは自然なこと。
叱るなんてとんでもない!と、、、
また飼うのなら一緒に注文しましょうと誘ってくださいました。

泣きそうになりました。

いや、痛い思いをさせて殺したのは私です。
泣きたいのは鳥達の方ですよね。


私が確定申告と次男の中学の入学説明会に行っている間に
主人は3羽を埋めてくれていたようです。

何にも知らなかった私は、今朝空っぽになった
鶏小屋恐る恐る覗いてみました。




白い羽根が散乱して、赤く染まった羽根がありました。

始末をした主人が、辛かっただろうと思います、
道理で昨日はため息ばかりついていたずです。

一方で、鳥を飼わなければ、こんな風に家畜のことを考えることは
なかったと思います。
家畜はみんな、私たちのために卵や乳や毛や肉になっていることを
改めて考えさせられました。

そういう意味で、この別れは私にとって大事な経験だったと思います。

鶏をネットでも買えるのは知っていましたが、宅配で生き物を
買うことと、生き物を買うという行為に引っかかるものがあって、
それで直接もらえる方を見つけたのでした。

素敵な方と巡り合えて良かったと思って、実のところ
鳥のことは全くの不勉強でした。

もっと詳しく知っていたら、もっと危機感を持って
早く小屋を仕上げていたら、、、

そんな後悔がグルグルと巡ります。

そんなわけで、もうちょっと勉強してから、
再び鳥を飼いたいと思っています。

また、良いご縁があると良いんですけどね。

いつか、トリーずをくださった方に、逆に鶏を
あげられるようになれたら良いなと思っています。






昨日は、西伊豆町のお誕生記念品である、ガラスの
手形
を作るための手形取りの日でした。

http://izu-np.co.jp/shimoda/news/20160204iz1000000013000c.html

生後半年くらいまでの赤ちゃんが対象です。

今年度の後期ということなのですが、全部で7名位かな?
ああ、少ないな〜って感じました。

パパママの前で、GGGさん、光箱さん、そしてFAROが
それぞれの手形作品の紹介をした後、お好みの
工房のコーナーで、手形を取ってもらえます。

今回、私のところへ来てくださったのは一人だけでした。




すぐに持ち帰って、石膏を流しました。

これで型が完成〜ではありません。

最近、観光地同じようなガラスの「手形製作体験」があることを知りました。
とても安価ですが、多分きっと砂場に直接手形を押して、
そのますぐにガラスを流しているから、安くできる
のだろうな〜って
思ったのでした。

一度にたくさんできて、お客様も製作工程を見ることができて
楽しいですよね^_^


一方でFAROの手形は、お値段高めです。
なぜかというと、石膏型を作るからです。

コストがかかるから費用が高くなるのが難点ですが、
美しい手形にできるという利点があります。




なぜ、美しくできるか?

それは、型を更に加工していくからです

赤ちゃんの指はか細くて、いくら粘土でも押すのがかわいそうです。
また、半年ぐらいの赤ちゃんは、握るのが楽しくて、指が
変形したりしてしまいがちで、はっきりとした鮮明な
手形が押せない時が少なくありません。

石膏型にすれば、不明瞭だったり、不自然な部分を
可能な限り修復できるのです。

砂場では、これができないでしょうから、何度も
やり直す必要があるでしょう。

カッターで、周りの部分を低くし、手形の輪郭を
深く切り出していきます。

仕上げはペーパーのヤスリで。

そんな風に出来上がった型なら、くっきりはっきりの
可愛い手形がいつでも、何度でも作ることが可能です。

と、私は勝手に思っていますが、安く作って欲しい
お客様は、そちらを選べば良いと思います。

色々選択肢があるということは、良いことです。




さて、実はずっと休業していたので、昨秋取った
前期の赤ちゃんたちの手形を、1月に火入れして
すぐに製作し納品したばかりです、、、




ずいぶんお待たせしてしまいましたが、ガラスのフォトフレームに
接着して、お名前やデータを彫り、町役場へ持って行きました。

すでに、町の木「椿」の苗木と共に贈られていることでしょう。




一方、暮れに静岡からいらしたご家族。
赤ちゃんの手形と足型を作って欲しいと来房されました。

ちょっと大きかったけど、頑張ってガラスを流し込みました。




こちらは、フォトフレーム無しだったので、裏側にデータを彫って
さしあげました。

5000円です。

なんでも、広島だったか岡山だったか?のご出身のパパも、
赤ちゃんの時にガラスの手形を作ってもらっていたそうで、
自分の子どもにも作ってあげたいと探してくださったそうです。

「その作ってくれた工房で2代に渡って作ってもらったら、
工房の方喜んだでしょうね〜」


って、つい自分の都合で言ってしまいましたが、もう作る
ことができない事情があったかなと後で発言を後悔しました。

いつかお子さんが増えたら、全員の手形を集めて
一つの作品を考えても面白いですね!

ってお話したら、「それ良いですね!」って喜んで
お帰りになりました。

こちらも、すでに発送済みです。

喜んでいただけたでしょうか?


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