『灯台もと暮らし 』西伊豆ガラス工房FARO徒然日記

2013年07月


昨日、岐阜から“妹”一家がフェリーに乗ってやってきました。

いつもは、私が岐阜の展示会に出向いて会えますが、
今回やっと西伊豆へ来てくれました。

“妹”と言っても、私には弟しかいないので、心の中での妹分です。(^-^)

能登島のガラス工房で、彼女が生徒、私はスタッフとして出会いました。

私はまだ若かったし、たくさんの生徒を相手に先生をするのは本当に大変で、
まだまだ習いたいのはこっちの方なのに、、、と、不本意だったり、
私たちの寮に、講座生も一緒に暮らすことになるので、特に夏場なんかは
遊びに来ている人と、仕事で疲れている私達とのギャップもあって、
とにかく手厳しい先生として、生徒には恐れられていました。(笑)

そんな私に、彼女はそれでも付いてきて、なぜだかずっと大切に想い合う仲になりました。

そんな彼女が、彼女のご主人と、子ども達3人が、吹きガラス体験をしに来たのです。

4歳の末っ子は、私が能登島で飼っていた猫と同じ名前。

家へ入ってきたとき、

『たらいま、、、』

とにっこりしていました。(//∀//)


すぐに吹きガラス体験をしに、工房へ。

4歳、5歳、8歳が、全く動じず、楽しそうにガラスを吹いたり、
触ったりしている様子を見て、私は感慨深い思いでした。

わたしがかつて、ガラスを教えた女の子の子ども達に、
今ガラスを教えているんですから、、、

彼女もおんなじ思いだったと、後から話してくれました。

彼女は、ガラス作家となりましたが、今は主婦業に専念しています。

せっかくだから、彼女には一人で吹いてもらいました。




『10年ぶりで緊張するー!』

と騒ぎながらも、丁寧に記憶を呼び起こしながら、ガラスを吹いていました。

ご主人も、彼女がガラスを教えたことがあるということだったので、
私がガラスだけ巻いてきて、後は自分で仕上げてもらいました。

彼女は、本当に久しぶりのガラスに心から喜んで幸せそうでした。




そんなふうに、いつかまたガラスを触って欲しい人が、私の友達に何人かいます。

家庭に入ってしまうと、なかなか吹きガラスを続けるのは難しいけど、
いつかきっとまた再開してほしいなと思うのです。

3月に、工房まで手形をご依頼に来られた2組のお客様。
片方は女の子の赤ちゃん、もう片方はワンちゃんでした。

仕事を再開して、真っ先に作ったのは、この二つの手形。

http://fglass.i-ra.jp/e652094.html

NEC_3594
どちらにも、お待たせしたお詫びに、ペーパーウェイト
使って頂けるように、同じ型で手形をもうひとつづ作って
同送いたしました。

ワンちゃんの手形は、可愛がっているお嬢さんが、手書きで
文字を書いていかれたので、そのまま写して彫りました。
ワンちゃんの手形が小さかったので、

スペースがいっぱいできるだろうから、
何かメッセージも彫りますよ!


とご提案したら、いろいろ書いていってくださいました。

NEC_3593

すでにお宅に届いて、喜んでいただけていると思います。



今日は、西伊豆町災害ボランティアに参加してきました。

安良里の独り暮らしのおばあちゃんのお宅の片付けに配属されました。
床下にたまった泥を掻き出しました。

すでに一帯がドブ臭く、国道は乾いた土埃で目が開けられないほどでした。

地域の被災者が、泥だらけになって自力で片付けしていました。
子ども達も、一緒に頑張っていて、胸がいっぱいになりました。

消防団の皆さんも、たくさん出動していました。

一方、近所でも被災しなかった方は、あまり気になっていないようで、
『温度差があるよ、、、』と出会った知人がつぶやいていました。

うちのお兄ちゃんも連れてくれば良かった。

帰りの道々、心配していた知人を訪ねて話し掛けました。

大多数の男性は消防団員なので、家のことは二の次になり、
奥さんや子ども達で何とかしなくてはならないのが可哀想です。




西伊豆町役場横に、ボランティア本部があります。

名前と住所、携帯番号等を書いて申し込みます。

二階で派遣先をマッチングしてもらいますが、
『男手が必要な所が多くて、、、』と、少し待たされました。

8時30分から受付開始です。
長靴なども貸してもらえます。

食事と水分、マスク、軍手と長いゴム手袋、
タオルは持ってきた方が良いかと思います。
服装は長そで長ズボン、帽子です。

活動は15時まで。
再び本部に戻り、報告して解散です。

終了後、役場に戻り本部の知人と話していたら、シャトルバスで
続々とボランティアの皆さんが帰ってきました。

若い方も年配の方も、男性も女性も、本当にたくさん。

私が一緒に活動した方々は、神奈川県からのボランティアグループでした。
近くには、姉妹都市の長野県富士見町の皆さんがいらっしゃいました。

あんまりたくさんのボランティアの皆さんを見て、
胸が熱くなって涙が出そうでした。(T_T)

残念なことに、地元の方は少ないそうです。

まだまだひどい状況でした。

国道を走ると、観光スポットにはたくさんの行楽客がいて、
海水浴客も楽しそうに泳いでいるのが見えました。

一体、どこが被災地なのか、地元の人でも気付かないかもしれない、、、

そう思ったら、何だかすごく複雑な気持ちになって切なくなりました。

「見る」と「知る」とでは違う、、、

また行かなくちゃ!と思いながら帰ってきました。

明日からは、平日になるので、ボランティアが減ると
予想されています。
ご協力いただける方は、下記サイトをご覧いただいて、
ぜひご協力のほどよろしくお願いいたします。

http://blog.goo.ne.jp/nishiizu-saigaivc

すでに7月半ばも過ぎ、風鈴に関して、すっかり出遅れたこの夏。

それでも、やっぱり根強い人気のこの風鈴だけは作っとかないと!
と、吹きました。



『虹の風鈴』です。




ネットのクラフトサイトにアップしたら、すぐに注文が入りました。

私も大好きな風鈴ですが、作るのが少々大変で、色を出すのにも
苦労する風鈴です。


お求めくださったお客様のお部屋で、虹色の影を
映してくれるでしょうね。

昨日今日と、安否を心配して、お電話いただきまして、
ありがとうございます。

私たちの家は、全く被害もなく、元気でおります。

あの日、主人が実家の方へ帰ってしまい、それだけで不安な夜でした。

深夜、ものすごい豪雨で、雷も光り、停電や土砂崩れが起きたら、
私ひとりで子どもたちを助けることができるだろうか?と
悶々としながらベッドに入ったのでした。

その後は不覚にも爆睡、、、



朝、横の川は大増水していて、そんなに降ったんだ、、、と
眺めていたら、電話が鳴りました。

「お宅の下が通行止めになってるらしいんだけど、本当?」


嘘!?と、下るとすぐに土砂崩れが見えました。



細い水路があるんです。
本当に細い幅1メートルほどの所から、こんなにも大量の土砂が
どうやって押しだされたんだろう?と、首をかしげるほど。




普段、ちょろちょろしか流れていない水も、滝のようにゴーゴーを
落ちてきて、それが川のように道路を流れていきます。

角のお宅の玄関先まで土砂が迫っていました。
外に置いていた車はダメでしたが、玄関先の車を出して
あげようと、いったん家に戻り、長靴履いて、スコップ持って
土砂を必死にかきだしました。

車を離れたところに出せたころ、ショベルカーがやってきて、
土砂をかき分け始めました。


この道路がふさがると、私達は全く孤立します。
正確には、河川敷を歩けば、川下へ下りられますが、、、

そんな中、上流の老人ホームの職員さんは、足を濡らしながら、
土砂の上を歩き、出勤されていて感心しました。

そこへ、新聞屋さんが、河川敷を来たんでしょう。
忍者のように現れて、歩いて新聞を持って来てくれました。

そこで、やっと安良里地区や田子地区がかなりひどい状況だと
教えてもらいました。




17時、やっと車が通れるようになりました。

田んぼの様子を見に行こうと、下りて行くと、道々
ひどい状況を見ました。

みなさん、泥だらけになった玄関先を片づけていました。

被害を受けた方々には、お見舞いの言葉も見つかりません。
今日もまだ、片付けで大変だったはずです。
お家の中や、家財が泥だらけになってしまうのは、
本当にがっかりするでしょう。
廃車になった車もたくさんあるそうです。

明け方に災害が発生したのは、不幸中の幸いでしょうか?
これが夜中だったら、けが人が出ていたかもしれません。

国道はすぐに通れるようになりましたので、ライフラインは
大丈夫です。

観光シーズンを目の前にして、大変な痛手ですが、
近い将来起こりうる、もっとひどい災害の予行演習だったと思います。

弱点を洗い出し、災害時にどう動くべきか?どう備えるべきか?
考えなくてはいけないなと痛感した7月18日の豪雨でした。




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