『灯台もと暮らし 』西伊豆ガラス工房FARO徒然日記

2011年03月

先月のある日、電話が鳴りました。

赤ちゃんのお位牌のことについて相談したいから、今から伺いたいというパパとママでした。


数時間後、お二人は現れ、思いがけず“3つ必要だ”と、さらりとおっしゃいました。

今まで双子ちゃんのお位牌はありましたが、3人分作ることはなかったので、まだ若いお二人を見て、とても切なくなりました。


赤ちゃん達は、みな“日”という漢字を使ったお名前ということで、私の“夕だるま”を気に入って、まずひとつは似たような感じで作って欲しいとおっしゃいました。


他のお位牌のデザインをいろいろお話しているうちに、


それならばご自身で作っていただいたらどうだろうか?


という考えが、私の中で膨らんできました。


ちょうど、デザインどおり制作した猫ちゃんのお位牌が、


『私の思っていたものとは、全然違う!』


と言われ、ひどい言葉をいただきながら返品されて、私は本当に傷ついたところでした。



ご依頼者の思いが、深ければ深いほど、たとえ綺麗な形にならなくても、ご自身の手から自然と何かが発せられて、望むものが現れるのではないかな?と思い始めていました。


ご自身で作ってみますか?

と尋ねると、いいんですか?と、パパは嬉しそうに笑いました。



赤ちゃんの名前からイメージを膨らませて、太陽、海、向日葵の3つのお位牌ができていきます。


ひとつ作っては、次はどんな色のどんな形にしようか?

と、3人で相談して進めました。


私がいつもそうしているように、


『赤ちゃんが降りてくるように、名前呼んでみて!』

と、パパに呼び掛けると、


『ひなた〜』


と、パパは名前を呼びながら、ガラスを撫でて成形していきました。



その一部始終を、ママがビデオで撮影していました。




もちろんこの日初めてガラスに触れた素人の方ですから、思い通りにならなかったり、いびつだったりしましたが、パパもママも、本当に満足そうにお帰りになりました。


私も、自分が作るよりも2倍も3倍も時間と労力がかかって大変でしたが、


(これが本来あるべき制作工程かもしれななぁ)


と感じ、心は充足感でいっぱいでした。



後日、お位牌に名前を彫刻しに、再びお二人はお越しになりました。




ガラスの塊を使って、練習をいっぱい彫ってもらいました。


パパは、かなり手こずっていましたが、1時間以上かけて、3つそれぞれにお名前と命日を彫りあげました。

短期間のうちに、次々と天使ちゃんになった、お二人の赤ちゃん、、、

その赤ちゃん達を見送った、パパとママの悲しみに思いを巡らせながら、彫刻の様子を見守りました。


嬉しそうに、そして大事そうに、仕上がったお位牌を胸にお二人は車に乗り込みました。



お二人が、いつか冷たく硬いガラスではなく、暖かく柔らかい赤ちゃんがその手に抱ける日が来ますようにと、祈りながら見送りました。

今日は、良い天気で、暖かい日ですね!

ソメイヨシノも、ポンッと咲いてきました。

昨日は、全てを忘れて、完全オフの休日を楽しみました。


この二週間、いろいろあって、子どもも大人も心が疲れ切っていました。

エネルギーも満タンチャージして、新たな気持ちで春を過ごして行きたいな〜と、青い空を見ながら思いました。



昨日の静岡新聞の夕刊に、
私のサザエグラスと、工房のことが紹介されました。

子ども新聞しか取ってないので、しばわんこさんから
教えてもらって初めて知りました。




すると、ひまわりさんがわざわざスキャンまでして、
記事をメールで送ってくださいました!(≧▼≦)


取材に来られた記者、さんには、イベントをする時に
よく取り上げていただきましたし、個人的には時々
グラスを買っていただいたりしました。


私の“表ブログ”も読んでくれていて、一昨年のキャンドルナイトの時に、


『ブログ読んでます。


この前の“心酒”

サイコーでした!(≧▼≦)』



と、話しかけてくれて、一気に親近感がわきました。


西伊豆らしいもの、、、

と考えた時に、サザエグラスを頭に浮かべてくださったそうです。


取材が終わる頃、自分はもうすぐ静岡へ
戻ることになった
と話してくれました。


『だから、これが西伊豆で最後の仕事です!』

とおっしゃいました。

そういう思いで書いていただけて、私達もとても光栄でした。


今度はスポーツの担当だそうで、ちょっと戸惑っていました。


やっと仲良くなった頃、転勤なんですよね?みなさん。


何かプレゼントさせてくださいと言ったら、
主人の“ライングラス”をお選びになりました。


新しい部署で、心機一転頑張って欲しいなと、見送りました。


そして昨日は、役場の方から

『斎藤君が、西伊豆を離れるので、課のみんなから
彼にサザエグラスを贈りたいんです。』
と、電話をいただきました。


斎藤さんは、私と同郷の磐田出身で、西伊豆町には
県庁からの出向で一年間来ていました。


ガラス作家の会の担当として、誠実に取り組んで
いただき、大変お世話になっていました。


一年経ち、やっとリラックスして話せるように
なったのにお別れです。


残念だけど、そんな彼への贈り物に、西伊豆らしいものとしてサザエグラスを贈っていただけるなんて!
とても嬉しかったです。


注文はひとつだったのですが、せっかくなので私達から
もうひとつ贈らせていただきました。






足の部分に課の名称と、もうひとつには、私達からの
メッセージを彫刻しました。


次はどこへ赴任するかわかりませんが、サザエグラスを
使うときに、西伊豆の風景を思い出してくれると
良いな〜
って思います。


同じく、電話をくださった方も違う課に移動ということで、
後で係長さんが、


『彼へもおまかせでガラスを贈りたい。』

と電話をいただき、私は“宵のグラス”を選びました。


まだまだ計画停電が続くようなので、私達からは
キャンドルホルダーを入れました。


春は嬉しい反面、別れもあって切ない季節ですね、、、(T_T)


5月に、浜松の由美画廊さんで


『カレー皿と小どんぶり展』

が予定されています。


その為に、小どんぶりを作りました。


ガラスを使ってカレー皿って、、、(゜U。)?


どんなものができるのか、悩み何処ですが、、、


地震後、灯油の不足や価格高騰、計画停電、消費の落ち込み、イベントの中止、、、


工房を続けていけるのか、たくさん考えることがあって創作欲も萎えがちでしたが、主人が


『こんなことで、へこたれていられない。

東北で、ガラス吹けなくなったアイツの為にもなっ!』


と、自分に言い聞かせるように言ったのを聞いて、そうだよなと、思い直したのでした。


岩手の菊池君は、灯油が手に入らなくなった為に、大量の引き出物の注文も、6月の展覧会も断ったそうです。

私達の業界は、今の時期が一番収入が落ち込む厳しい時期なんです。


喉から手が出るほど欲しかった仕事を逃がすのは、本当に辛いでしょう。


被災していない私達が、へこんでいては、会わせる顔がありません。


だから、あれから私達はより一層ガラスに対して、真摯に向き合い、必要とされ、愛される作品を作ろうと努力しています。

燃料も、無駄にしないよう、ほとんど休まず仕事を続けています。



私の小どんぶりは、まだこれから加工を加えて可愛く仕上げる予定です。


ガラスを作ることができない仲間の為にも、私達は良いものを作って、皆さんに喜んでいただかなくてはいけません。


行けるところまで頑張りたいと思います。


昨日の朝、電話が鳴った。

『長野のミモザの○○○です!


やっぱり行こう!ということになって、今そちらに向かっていますが、営業されてますか?』


実は数日前にお電話いただいたのですが、停電や燃料のことで、先行きが見えずにお断りしていたのだ。


やってますよ!
待ってますよ!


と、お答えした。


彼女は、私よりも少し若い位の方で、数年前に家族旅行でたまたま立ち寄ってくださってから、毎年ガラスを買い求めに来てくださるようになった。


初めていらっしゃったときに、庭に咲いているミモザを御覧になって、


『私、ミモザ大好きなんです!


でも、長野ではどうしても根付かなくて、、、』


と羨ましそうに眺めていたので、満開の枝をたくさん切って、大きな花束にして差し上げた。


それ以来、お名前は存じ上げなかったが、“ミモザの、、、”と言われればわかるお客様になった。


午後、到着した車から、いつもの顔ぶれが降りてきて、上の坊やが黄色い花を持って、私に向かって駈けてきた。


ありがとう!と受け取り、お久しぶりですとご挨拶。


雲見の宿も、貸し切り状態で寂しいけど、それでも良ければどうぞお越しくださいと言ってくれたそう。


彼女は、いつものとおり満面の笑顔で、珍しく『吹きガラスをやってみたい!』と言う。


いつもは、買い物だけだった。


工房に入ると、


『あたし、あれから大病しちゃった、、、』

と笑う。


大病って?





『膵臓ガンがわかったんだけど、肝臓にも転移してるんだって、、、


今、抗がん剤を3回やったとこなんです。


ステージ4まで進行してるの、、、』



私は、えっ!と言ったきり、声にならず胸に手を当てて、戸口で遊ぶ、まだよちよち歩きの下の坊やを見た。


『膵臓ガンが小さくなれば、肝臓も手術できるんだって、、、』


うん、うん、と私は頷いて聞くだけ。

涙が落ちそうなのを堪えるのが大変だった。


『でも、あたし、絶対にまた来るから!

あの子達のためにも、治らないとね!』

と、笑う。


そうだよ!
きっと大丈夫。絶対に、また来てね!



と、彼女の肩を擦って、私は背を向けて、吹きガラスのエプロンを取り、彼女を見ないようにしてエプロンを手渡す。


彼女もうつむいて、支度をする。


では、始めましょうか!と見合った時の私達の目は真っ赤だった。


私は主人に、小さな子供達の相手を任せた。


きっとこの家族には、一日一秒が大切な時間のはず。

お父さんに、奥様の楽しそうな様子をちゃんと見て欲しかった。


お二人で、いつものとおりあーでもないこーでもないと、ちゃちゃ入れながら、彼女は、桜色のグラスを本当に楽しそうに吹いた。


帰りがけ、私は彼女に、『これ、御守りに、、、』とガラスのカエルを手渡した。


『あぁ!無事帰るってこと?』


と、笑顔で受け取ってくれた。


庭に出ると、やっぱりミモザの花を見て、


『あーあ!この花が一番好きなのになー』


と残念がるので、今年も花束にして手渡した。


『あたし、きっと大丈夫。
だって、いつも笑っているもん!』


うん!そうだよ。
あなたならきっと大丈夫。

絶対にまた来てね!待ってるから。


彼らの車が見えなくなっても、私はしばらく戸口に立ち続けた。


きっとまた、ミモザの季節に会いましょう。

絶対に。

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